三嶋大社
2012年 12月 12日
まだ目的地へ着いていないのに、この街へもう一度来たいと思った。
三島駅で降りたのは10年振り2度目で、街を歩いたのは初めて。
大きな案内図がとても親切で、駅前以外にもある。
三島は、富士山の湧水を活用した街づくりが進んでいる。
1枚目の写真は、白滝公園と農業用水として利用されている桜川。
左に写っている電柱には、樹木を模した加工がされている。
水上のお堂は、白瀧観音堂で平安時代末から観世音菩薩が祀られているそうだ。
かつては、ここより北にあり、傍らに白い飛沫を上げる滝があったと伝えられている。
桜川に沿って清清しい気分で歩くと、間もなく三嶋大社に着く。
国道1号は、ここより南を走っているが、鳥居前の通りが旧東海道だ。
参道の東側にある「たたり石」
この石は、大社前東海道の中央にあり、行き交う人の流れを整理する役目を果たしていたそうだ。
たたり(絡垜)(「土」偏+「朶」)は、本来、糸のもつれを防ぐ道具で、整理を意味する語であった。往来が頻繁になり、これを取り除こうとする度に災いがあり、祟りに置き換えて考えられるようになったと言われている。
大正3年の道路工事で掘り出され、境内に据えられ、現在は交通安全の霊石として信仰されている。
参道を進もうとすると、西側の木に呼び止められた。
近づくと、ゆっくり歩いて行きなさい、と聞こえた。
神池と、北条政子が勧請した厳島神社
参拝して参道に戻ろうとしたら、鯉が跳ねた。
腰掛石
源頼朝と北条政子が休息したと伝えられている。
神門
慶応3年(1867)竣工。
舞殿
慶応2年再建。
古くは祓殿と呼ばれ、神楽祈祷を行った。
現在は、舞の奉納、田打ち神事などが行われている。
本殿・幣殿・拝殿
嘉永7年(1854)の東海地震で罹災し、万永元年(1860)から明治2年(1869)にかけて再建された社殿。
舞殿と拝殿との中間あたりから、空気が変わった。
強く温かいものに包まれているようだ。
社名:三嶋大社 (みしまたいしゃ)
祭神:大山祇命 (おおやまつみのみこと)
積羽八重事代主神 (つみはやえことしろぬしのかみ)
この2柱を総称して 三嶋大明神 (みしまだいみょうじん)
住所:静岡県三島市大宮町2丁目1-5
参拝日:2012年12月5日
三島駅で降りたのは10年振り2度目で、街を歩いたのは初めて。
大きな案内図がとても親切で、駅前以外にもある。
三島は、富士山の湧水を活用した街づくりが進んでいる。
1枚目の写真は、白滝公園と農業用水として利用されている桜川。
左に写っている電柱には、樹木を模した加工がされている。
水上のお堂は、白瀧観音堂で平安時代末から観世音菩薩が祀られているそうだ。
かつては、ここより北にあり、傍らに白い飛沫を上げる滝があったと伝えられている。
桜川に沿って清清しい気分で歩くと、間もなく三嶋大社に着く。
国道1号は、ここより南を走っているが、鳥居前の通りが旧東海道だ。
参道の東側にある「たたり石」
この石は、大社前東海道の中央にあり、行き交う人の流れを整理する役目を果たしていたそうだ。
たたり(絡垜)(「土」偏+「朶」)は、本来、糸のもつれを防ぐ道具で、整理を意味する語であった。往来が頻繁になり、これを取り除こうとする度に災いがあり、祟りに置き換えて考えられるようになったと言われている。
大正3年の道路工事で掘り出され、境内に据えられ、現在は交通安全の霊石として信仰されている。
参道を進もうとすると、西側の木に呼び止められた。
近づくと、ゆっくり歩いて行きなさい、と聞こえた。
神池と、北条政子が勧請した厳島神社
参拝して参道に戻ろうとしたら、鯉が跳ねた。
腰掛石
源頼朝と北条政子が休息したと伝えられている。
神門
慶応3年(1867)竣工。
舞殿
慶応2年再建。
古くは祓殿と呼ばれ、神楽祈祷を行った。
現在は、舞の奉納、田打ち神事などが行われている。
本殿・幣殿・拝殿
嘉永7年(1854)の東海地震で罹災し、万永元年(1860)から明治2年(1869)にかけて再建された社殿。
舞殿と拝殿との中間あたりから、空気が変わった。
強く温かいものに包まれているようだ。
社名:三嶋大社 (みしまたいしゃ)
祭神:大山祇命 (おおやまつみのみこと)
積羽八重事代主神 (つみはやえことしろぬしのかみ)
この2柱を総称して 三嶋大明神 (みしまだいみょうじん)
住所:静岡県三島市大宮町2丁目1-5
参拝日:2012年12月5日
by tappee
| 2012-12-12 21:26
| 神社寺院
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